多分不安症の次女ですが、あまり大きな問題は返って不安にならないと言っているのが面白い

我が家の次女は引きこもりで、とても不安が強い。一度不安になると目に涙をいっぱいためながら、延々と不安を訴え続けるので、私もちょっと面倒に思うことがあります。
なるべくなら不安はない方が良いと私も思うので、不安を取り除くように協力するのですが、これがなかなか難しいです。
1つの不安を取り除けたと思うと、すぐに次の不安が出てくるからです。延々ときりがない…
😥トコジラミには困った…
トコジラミが話題になったときは大変困りました。家の中にトコジラミが持ち込まれるのではないか、という不安が次女にとりつきました。
長女が出かけると、出先でトコジラミがついたのではないかと恐れ(その不安を私にぶつけますが、まさか長女に出かけるなとも言えない)、宅配便で荷物が届くと段ボールはいち早く家の外に出すという徹底ぶりでした。
いつの間にかトコジラミへの不安は落ち着いたようですが、決してなくなってはおらず、自分でいろいろな殺虫剤などを使っているようです。
まあ使ったら使ったで、その殺虫剤も人体への影響はどうだろう?私、使いすぎちゃったかも…などと不安になっているので、本当にきりがないな~、と思っています。
そんな次女は、これからの生活が不安ではないのでしょうか。
🤔これからの生活をどう考えている?
実は私、備蓄をしている方のブログを読むと次女の顔がちらつきます。やはり大きな不安が人を備蓄へと駆り立てるのだと思います。
で、興味半分で、次女に食糧難に備えて備蓄をする人のことをどう思うか聞いたのです。すると次女の答えはきっぱりとしたものでした。
「ここまで問題が大きいと、私にはどうしようもないから、不安にもならないよ。
確かに備蓄をしておけばある程度の期間はしのげるかもしれないけど、それを一生続けられないでしょ?
食糧難に備えた備蓄って、個人よりも政府が対応するべきだとおもうんだか思うんだけど」
それを聞いて私は感心しました。次女にとってすべてが不安の種というわけではないんだ、と思ったからです。人の心って、不安になるところとならないところがあって、バランスを取っているのかもしれませんね(うまくできている…)。
それと次女の場合、引きこもっていることで、一層自分自身に興味が向きやすくなっているようです。
だから自分に関することでは不安が止まらなくなるけれど、世の中の大きなことには興味が持てないし、不安にもならないようです。他の引きこもりの人は違うのかな?
しかし、次女の言っていることも一応もっともに思われます。さあ、世の中も次女もこれからどうなるのか、本当に興味深いですね。
結果は数年経たないとわからないでしょうが、今現在のことを『大変だったね』と思い出話にできたら良いと思います。
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